知らないおじさんと山頂でおまじないをする話【エルデネト/モンゴル】
前回のモンゴル旅行記の続きです。
未読の方はまずはこちらをどうぞ。
maniaceasterneurope.hatenablog.com
宿が確保できてほっと一安心したため、お腹は全く減っていなかったが、19時頃に夜のエルデネト散策へ。
旧共産圏らしい良い雰囲気の集合住宅。エルデネトにはそういう建物が本当に多かった。
はて、この像は何だったかな。覚えていない。
これは確か郵便局。はたして夜間のライトアップは必要なのだろうか。
カルチャーセンター前の広場では、若者たちがサッカーをしていた。
1時間ほど散策した後、ビールを買って帰り、ホテルの部屋で一人晩酌して就寝。
2013年10月12日(土)
朝の8時くらいに部屋の呼び鈴が鳴ったので、何かと思ってドアを開けると、なんと朝食のサービス。
部屋まで持ってきてくれるのか!と感激したのだが、皿を見ると目玉焼き2つと、干からびた肉片が2つ。
肉片はまずい上にカタかった。
あれは一体何の肉だったのだろうか。
謎の肉を食べた後、エルデネトに来たら絶対に観たかったモニュメントの見学に行くことに。
道中、建物の壁にマルクスを発見。
こっちはレーニン。
わたしは日常に溶け込んでいる旧ソ連の遺物が大好きで、こういうものを見かける度に胸がときめきまくってシャッターを切ってしまう。
そして、これがお目当てのロシア友好記念碑。
これを見るためにこの街に来たといっても過言ではないかもしれない。
というか、それくらいこの街には特にこれといった観光スポットが無いのだよな。
当時、地球の歩き方に載っていたこの記念碑を見て、いかにもソ連なフォルム(ちょっとSFっぽいような)に惹かれてエルデネト行きを決めたような気がする。
そもそもエルデネトは70年代に旧ソ連の指導により鉱山が開発されるのに伴ってできた都市だそうだ。
労働者や技術者としていまだにこの街で働くロシア人も多いらしい。
確かに街中でもロシア人らしき白人を度々見かけ、まさにロシアの地方都市を訪れたような気分になった(ロシア行ったことないけど)。
記念碑の近くには大仏も。
この国は旧共産圏の雰囲気と仏教が融合しており、違和感を醸しながらも同居しているところが面白い。
遠くに鉱山が見える。妙な形にカットされた山。
とりあえず見たかったものが見られて満足していると、突然知らないおじさんに話しかけられる。
馬鹿みたいにデカい犬を連れたおじさんは、ロシア出身で今はエルデネトに住んでいるらしい。
エルデネトから150キロくらい離れたところでキャンプ場を経営してるとか。
名刺を渡され、「ありがと、いつかキャンプに行くね」と、立ち去ろうとしたら、山を指さして「あのテレビ塔に行ってみないかい?」とドライブに誘ってくる。
明らかに観光スポットなじゃい上にただの電波塔なのだが、なんだか楽しそうだし特にこれといった用事も無かったので、「うん、じゃ、行こう」とついていくことにした。
警戒しつつもおんぼろジープに乗せられガタガタの悪路をひた走り、村エリアを抜ける。
途中で道に迷ったりしながら、
ごつごつの石が転がる道なき道をのぼって山頂に到着。
寒い!
そして誰もいない!
もしかしたら、このおじさん、ここでわたしのことを殺害する計画なのでは……とにわかに不安になる。
しかしわたしの不安をよそに、おじさんは熱心にその場にあった謎のモニュメントの説明を始めた。
これはモンゴルの宗教的なものらしい。
おじさんが言うには、まわりをぐるぐる3回まわり、石ころを真ん中に投げ込むと……まぁ何かがあるらしい(笑)
とりあえず二人で実行しておいた。
ただでさえ寒いのに、何も遮るものがない山頂なのでとにかく寒かったが、壮観な景色に息を飲む。
エルデネトの街も一望できた。
おじさんが見つけた何者かの骨。
ブラックメタラーとしては持ち帰るのが正しいような気もしたが、普通に邪魔なので止めておいた。
山から下りると、おじさんはカーペット工場に連れて行ってくれた。
エルデネトは銅鉱山だけでなく、カーペットも有名らしい。
しかしここでも、まだおじさんへの不信感を拭えずにいたわたし。
なら、最初からついてくなという話なのだが。
おじさんは知らない男の人と話し始め、わたしをカーペットに座らせ、ちょっとここで待ってて告げてどこかに去っていった。
きっとあの人は人身売買の元締めか何かをやっている悪い人で、わたしをどっかに売り飛ばそうとしてるんだ……と不安いっぱいの妄想が頭をよぎる。
けど、おじさんは戻ってくるなり、「お腹減ったよ」というわたしに「ははは(笑)おすすめの食堂があるからそこに行こう」と優しく声をかけてくれるのだった。
つづく……
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【行き方】
ここでは、エルデネトのロシア友好記念碑への行き方を記しておく。2013年当時の話になってしまうが、ウランバートル行きのバスが出ていたバスターミナル(Авто вокзал)の近くにあった。階段になっているので、そこをのぼれば着く。多分今もそこにあるはず。
【場所】
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(最終訪問日:2013年10月)