ひなびた公園と地元民御用達の掘っ立て小屋バー【ハルキウ/ウクライナ】
以前、ウクライナのハルキウという都市で、メタルフェスティバルに訪れた時のことを記事にした。
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WackenやHellfestといった超巨大有名フェスとは違って、かなりのんびりしたフェスで、会場も便利な街中にあるのが嬉しい。
出入り自由なので、好きなタイミングで会場の外に出ることもできる。
わたしも目当てのバンドが出演していない間は、辺りを散策してみた。
そして、フェス会場の近くで見つけたのがこちらの公園。
入り口からして閑散としていて、数十年前にタイムスリップしたような、ひなびた印象を受ける。
なんともワクワクする雰囲気。
木や雑草もうっそうと生い茂っていて、あまりこまめに手入れはされていなそう。
ひび割れた小道の先には、何もないかと思いきや、小さな売店が営業していた。
そこの売店でビールを頼む。
わたしたちがポーランド語を話していることに気付いた店主の男性が、「ポーランドから来たの?俺もポーランドで働いてたよ」と気さくに話しかけてくれた。
アパートのような建物も発見。
管理棟か何かだろうか。
こちらの建物は完全に廃墟だと思って通り過ぎたが、後になって調べたら、現役で営業しているライブハウス「Жара(Zhara)」ということが判明した。
しかもここでちゃっかり、わたしの好きなブラックメタルバンドも過去にライブをやっていた。
廃墟だと思ってごめん。
何もない場所に突然現れるモザイク画。
ここはおそらく、元々ちょっとした遊園地のようなスペースになっていたのではないかと思われる。
この囲いの中に女性が消えて行った。
思うに現在は、野ションできる場所としてトイレ代わりに使われている模様。
草も生い茂っている上、壁で囲まれているので、確かに野ション場所としては絶好の場所かもしれない。
(この公園では公衆トイレらしきものは見かけなかった)
打ち捨てられたような公園をひとしきり散策した後、会場の近くまで戻る。
が、フェス会場には入らず、気になっていた小さなお店が集まるエリアに行ってみる。
掘っ立て小屋のような簡易的な建物で、なかなか入りづらい雰囲気が魅力的。
ビール一杯、15UAH(約60円)。
フェス会場内のビールもせいぜい60UAH(約240円)くらいで充分安いのだが、それをはるかに凌ぐ安さ。
これはシードルとピクルス。
シードルというと、リンゴのイメージが強いのだが、東欧圏では他のフレーバーも見かける。
ウクライナで飲んだメロンのシードルは本当に美味しかった。
掘っ立て小屋バーの裏の景色。
店の隣にはバスが停まっていて、急にエンジンをかけて砂埃をたてながら動き出す。
砂塵を吸い込みながらも、なかなか普段訪れることのできない場所なので、のんびりとビールを飲んだ。
ちなみにハルキウには、ゴーリキーパークという遊園地付きの公園もある。
先ほど紹介したひなびた公園とは打って変わって、老若男女で賑わう、きちんと整備された綺麗な公園だ。
ここにはなんと、無料で入れる公衆トイレがあちこちにあり、園内で売られているビールを飲んでも草むらに入っていかずに済む。
しかもトイレは個室数も多くて綺麗。
無料なだけでもありがたいのに、広くて綺麗とは、これはもはや東欧では奇跡に近い気がする。
遊園地コーナーの遊具も充実のラインナップ。
チケット売り場の造形も凝っていて可愛い。
観覧車に乗ってみた。
料金は100UAH。
途中で急に止まってしまったり、ガタガタ揺れまくるということはなかったが、密閉空間ではなくてところどころ隙間があるのが怖かった。
なお、ハルキウにはこんな珍スポットもあるので、併せて訪れてみると面白いかもしれない。
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【行き方】
ここでは、最初に紹介したひなびた公園への行き方を紹介する。ハルキウ駅からІндустріальна(Industrialna)行きの地下鉄に乗ってТурбоатом(Turboatom)で下車。歩いてすぐ。ハルキウには地下鉄は一本しか通っていないので迷うこともないだろう。なお、後に紹介したゴーリキーパークは「Центральний парк культури та відпочинку ім. М. Горького」で検索するとサイトが出てくる。
【場所】
Plekhanivs'ka street, Kharkiv, Kharkiv Oblast, ウクライナ 61000
(最終訪問:2019年6月)
老修道士が孤独に修行する、小さな村の岩窟修道院【ブトゥチェニ/モルドバ】
これまでも当ブログでは、モルドバのデコラティブな修道院や、首都キシナウのやたらと広い軍事博物館を紹介してきた。
しかし、やはり、何と言っても。
モルドバで一番有名な観光スポットはここだろう。
そう、岩窟修道院である。
キシナウから50kmほど離れた辺鄙な村のその修道院は、名前の通り、岩窟の中にあるのだ。
しかも、そこでは老いた修道士がたった一人で修行しているらしい。
興味を惹かれたわたしは、沿ドニエストル共和国に並んで絶対にチェックしたい場所として、モルドバ旅行の日程に岩窟修道院を組み込んだ。
9月上旬、まだまだ夏の気配がふんだんに立ち込め、朝から割と容赦なく暑いモルドバ。
そんな中、キシナウの中央バスターミナルで「Butuceni(ブトゥチェニ)」行きのチケットを購入した。
岩窟修道院がある地域は「オールド・オルヘイ(Old Orhei)」、現地語では「オルヘイ・ベキ(Orheiul Vechi)」などとも呼ばれるのだが、実際にこの修道院があるのは、「ブトゥチェニ」という村の近くである。
なので、岩窟修道院へ行くには、「ブトゥチェニ」行きのチケットを買えば良いと事前に調べていた。
が!この「ブトゥチェニ」行きチケットの売り場が分かりづらい。
なんせ、メインのチケット売り場から離れた場所にあるのでなかなか見つからなかったのだ。
しかし、他の売り場の女性がわざわざ仕事中断して案内してくれたおかげで、無事にチケットを買うことに成功。
旧共産圏の公共交通機関のチケット売り場でこんな優しい待遇に出くわすとは……
案内してくれた女性が女神に見えた……
お目当てのバスは、チケット売り場の前の道路に停まっていた。
ドライバーが行先の名前を連呼していたので、すぐにわかった。
バスに揺られて1時間ほどすると、それっぽい景色が近づいてくる。
モルドバには高い山はない。
その代わり、こういった具合のなだらかな丘のようなものがあちこちで見られる。
バスは無事に終点のブトゥチェニに到着した。
わたしの他にはもう1人観光客らしい白人女性がここで降りた。
が、バスを降りたはいいものの、辺りを見回しても修道院らしき建物は見当たらない。
あ、あそこにインフォメーションマークがついた建物があるぞ。
と思って近づいたが、この有様。
中には全く人気もなく、トイレの看板も外れてぶらさがった状態。
とりあえず歩くことにした。
人っ子一人歩いていない静かな村。
小さなお店の前で第一村人発見。
家の壁のレリーフのようなものが可愛い。
村の家々の門も独特。
誰の顔だろう。
現役っぽい井戸もある。
話が脱線するが、以前ウクライナの村の物件を紹介する動画をYouTubeで観た。
その家には水道が引かれていないものの、近くにある共同の井戸を使えば水道代は万年0円だとか。
しかし、いちいち水を汲みにいくのは大変だし、冬場は凍ってしまって水も汲めないので、かなりハードモードな生活だろうなぁ。
あと、ピロリ菌も気になるし。
そんなことを、この井戸の写真を見て思い出した、というどうでもいい話。
しばらく歩いていると、修道院を発見。
しかし、お目当ての岩窟修道院ではなかった上、外は工事中。
金ぴかでカラフル、豪華絢爛な内部。
修道院の外では数人が煉瓦を積んだり、セメントを混ぜたりと、せっせと仕事をしていた。
それにしても、一体どこに岩窟修道院があるのだろう。
見渡してもそれらしき建物も見当たらなければ、看板なども出ていない。
とりあえず、新しい小道を探してそちらへ向かって歩くことにした。
すると、地下へと続く階段が現れた。
あまりにも地味というか、ひっそりとしている。
看板も何も出ていないので、まさかこれが岩窟修道院とは思わなかったのだが……
ひんやりとした空気に包まれた階段を降りると……(とか言って、降りた後に中から撮った写真だけど)
あった。
ここだ、岩窟修道院だ。
岩の中にはこぢんまりとした慎ましやかな世界が広がっていた。
修道院というよりも、なんだろう……誰かのおうちの豪華な祭壇といった雰囲気。
この修道院の起源は、13世紀にまでさかのぼる。
13世紀に正教会の修道士によって作られたもので、18世紀まで修道士がここで暮らしていた。
第二次世界大戦後、共産主義時代にこの教会はソ連の手により閉鎖されていたが、1996年にまた修道士が戻り、命を吹き返した(?)そうだ。
無料で入れるが、マグネットなどのちょっとしたお土産が買えるようになっているので、入場料代わりにマグネットを購入した。
写真には写っていないが、老修道士に声をかけて売ってもらった。
噂に聞いていた通り、その老いた修道士は、開け放たれた絶壁側の出入り口近くでずっと聖書らしきものを読んでいた。
誰かが入ってきても気にすることなく、彼は終始お勤めに没頭していた。
これが絶壁側の出入口。
出る時は気を付けた方が良い。
柵も何も無いので、勢いよく飛び出ると容赦なくそのまま下に落ちる。
さて、絶壁側に出てみた。
ひたすらのどかな景色が広がっている。
崖の下には牛。
高所恐怖症なのに張り切ってしまった。
それにしても、なんて長閑な景色なのだろうか。
天気も良くて風もなく(暑いけど)、平和というものを具現化したような景色。
本を何冊か携えて、あえてネットに触れない状態で、ここら辺に1週間くらい滞在したいな~。
さて、ひとしきり修道院を見学したが、ずいぶん時間が余ってしまった。
先に紹介した通り、修道院のまわりには特に何もないので、次のバスがこの村に来るまではあと数時間。
だが、この隣のトレブジェニ(Trebujeni)という村からもバスが出ている。
そこで、その村まで歩くことにした。
修道院の遠景。
ところで、結局、わたしはバスではなく、車でキシナウに帰ることになった。
というのも、ブトゥチェニで同じバスから下車した白人女性(スイス人の医学生だった)から村で声をかけられ、修道院を一緒に見学する流れになったのだ。
彼女とトレブジェニまで歩こうとしたのだが、「もう暑くて無理。ヒッチハイクしよう」と言い始めたのである。
北関東の猛暑地からやってきたわたしはへっちゃらだったのだが、寒冷なスイスから来たら南東ヨーロッパの暑さはこたえるんだろうな。
というわけで、1人でヒッチハイクは怖いけど、デカくて強そうな女性と一緒なら大丈夫かなとヒッチハイクを試みたところ、すぐに停まってくれた車に乗っていたのが、アメリカ人とスペイン人の観光客。
彼らも旅行中に知り合ったらしい。
「別の修道院にも行くんだけどあなたたちも行く?」ということで、せっかくなので連れて行ってもらったのが、こちらのデコラティブな修道院である。
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ネイティブ英語話者と、超流暢な英語を話すスイス人と、少し訛ってはいるけどかなり英語のうまいスペイン人に囲まれ、わたしは本当に困ってしまい、旅の後半は頑張って会話に入ろうとするのに疲れて2時間くらいだんまりを決め込んでしまった苦い思い出が蘇る。
【行き方】
キシナウの中央バスターミナルから1日に数本バスが出ている。記事にもある通り「Butuceni(ブトゥチェニ)」行きのチケットを買おう。もしくは、隣村の「Trebujeni(トレブジェニ)」行きのバス。修道院にすぐ辿り着きたい人は、丘の上の道を歩いていくと修道院に出るらしい。わたしは帰ってきてから知った。
【ウェブサイト】
http://www.visit.md/tour/stary-j-orhej/
【場所】
Butuceny, モルドバ
(最終訪問:2018年09月)
戦争で燃えた宮殿。5億円で蘇る侯爵夫人の理想郷【ザトニエ/ポーランド】
その廃宮殿は、ポーランド西部のザトニエ(Zatonie)という村にある。
宮殿が建てられたのは17世紀末のこと。
当時この地域の領主だったドイツ人貴族によって、バロック様式の宮殿が生まれた。
平日の午前中。
宮殿のまわりはひっそりとしていたが、散歩している人もちらほら。
朽ちた建物の抜けた窓から見える青空って良いよなぁ……
宮殿内部から見た入り口。
この宮殿を建てた一族が途絶えた後、建物は売却され、また別の貴族の手に渡った。
その後も数々の貴族がここに住むことになったが、1842年に当時の所有者だった侯爵夫人によって、古典主義的なスタイルに改装される。
この時、2階建てだった宮殿に1階分が付け加えられ、3階建てになったらしい。
1945年、ソ連軍によって、宮殿は炎に包まれ、完全なる廃墟と化してしまった。
その後ずっと放置されていたが、後に隣接する公園とともに修築され、2018年からは単なる廃墟ではなく、誰でも安全に訪れることのできる場所となった(しかも見学は無料!)。
なお、この修築プロジェクトには、日本円に換算すると総額約5億円近くが投じられたらしい。
マジか、すごいな。
この壮麗な白い建物は、もともとは温室として使われていたらしい。
先述した1842年の改装に伴い建設されたという。
どうやら朽ちていた建物を美しく再現したとのこと。
中はカフェになっていたが、わたしが訪れた午前中は営業していなかった。
宮殿の前には農家らしき古い家。
入り口に猫がいた。
隣接する公園はなかなかの広さ。
しかし、きちんと小綺麗にメンテナンスされている。
その昔、この公園をデザインしたのは、ドイツの建築家だったらしい。
小高い丘の上には見晴台的なものがある。
その丘の上からの眺め。
また、この宮殿の駐車場の近くにも建物跡のようなものがある。
ほとんど原型をとどめていないものの、どうやらこれは14世紀に建てられた礼拝堂だそうだ。
しかし、廃墟の中は悲しいくらいにゴミだらけ。
宮殿や公園と違って、こちらは誰も管理していないのだろうか。
出入り口。
きっと度々ここで宴会が行われているのだろう……
アルコールの空き缶、空き瓶、お菓子の空き袋などが散乱していた。
こういうところに物を捨てるんじゃないよ。
建物横には墓石のようなものが粗大ごみのように乱雑に放置されていた。
【行き方】
ジェロナ・グラ駅からバスで40分ほど。最寄のバス停は「Zatonie Parkowa」。バスを降りたら宮殿までは歩いてすぐ。
【場所】
Zielonogórska 48A, 66-004 Zatonie
(最終訪問:2021年3月)
エルデネト最後の朝、雪にかすむ旧共産圏モニュメント【エルデネト/モンゴル】
不思議なロシア人おじさんと過ごした一日が好評を博した(?)モンゴルのエルデネト滞在記。
こちらが最終章、というかおまけになります。
今までのエルデネト旅行記をまだ読んでいないという方は、まずはこちらをどうぞ。
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2013年10月13日(土)
6:30起床。
鏡を見ると泣きはらした目の痛ましい姿がそこにあった(笑)
しかしカーテンを開けると一面の雪景色。
一気にテンションが上がる。
窓を開けて雪を触ってみるとすごくふわふわ。
さて、最後のエルデネト観光に行くか!と気合を入れて外出した。
しかしとてつもなく寒い。
目の前に広がる共産圏的景色に、当時ハマっていたポーランド映画界の巨匠キェシロフスキの作品を思い出して大興奮。
雪をかぶりながら元気に散歩する犬。
このテのよく分からないSFっぽいモニュメントが大好き。
昨日おじさんの車の中から何度も見て気になっていた遊園地。
フェンスの絵が最高にツボだった。
どれもこれも、いちいち何かがおかしい。
園の門は閉ざされていたので、夏季以外は休園しているのかもしれない。
確かにこんなボサボサに雪が降っていたら遊具も動かせない。
地球の歩き方に写真だけ載っていたモニュメント。
これも実際に見てみたかったし、寒々しい景色にマッチしまくっていて素晴らしい。
道路も雪だらけ。
昨日まではひとかけらも雪なんてなかったのに。
朝早くから買い出しに来てた現地の人たち。
男性たちはモンゴルの民族衣装を着ている。
車がスリップしたらとりあえず手で押すらしい(笑)
意外にも散策が楽しくてのんびり歩きまわってしまった。
もう時間があまりないことに気付いて、急いでホテルに戻り、9:30にホテルをチェックアウト。
ホテル前の階段が凍結しておそろしく滑るもんだから、スーツケース片手にそろそろ歩いてたら、小太りの陽気なお兄さんが手伝ってくれた。
そして親切にも、バスターミナルまで車で送ってってくれる。
歩いても200メートルくらいないのだが。
彼は韓国系の会社を経営してるらしく、英語もぺらぺら。
朝から酒飲んでんの?というくらいハイテンションで面白い。
「え!?バスでウランバートルまで行くの!?こんな雪積もってんのに!?知ってるか?モンゴルのバスはまだまだ夏用のタイヤなんだぜ!あー、君の幸運を祈るよ」と、胸で十字を切るお兄さん(笑)
「そうなんだ……今日がわたしの命日かもね……」と言うと、「冗談だよ!だいじょぶだいじょぶ!」と無責任に発言撤回(笑)
陽気なお兄さんに別れを告げて、チケット売り場に入ったのは9:40。
狭いチケット売り場にはすでに人がいっぱい。
なんだか嫌な予感がする……
窓口は2つあるのに、開いているのは1つだけ。
後ろにいる従業員はのんびりお茶飲んでいる。
(ポーランドでもこんな光景はあちこちで見るな……)
そして、嫌な予感は的中。
ウランバートル行きのチケットは買えなかった。
英語は全く通じなかったが、雰囲気から察するに、もう10時の便は売り切れたようだ。
外に行け、的なことをぶっきらぼうに言われる。
じゃあ13時の便は?と尋ねるも、外に行けよ、と。
毎度恒例のパニックに陥るあたし。
そして、隅っこで泣き始める(笑)
すると、従業員らしきお兄さんが窓口から出てきて、「大丈夫だよ。僕が手伝うから」と、わたしのスーツケースを引いてバス乗り場に案内してくれた。
彼は気を遣ってか、日本語で「ニホンジンデスカ?」と聞いてくれる。
10人乗りくらいのバンにわたしのスーツケースを乗せて「これもウランバートルに行くからね。これでもいい?」と最後まで親切だった。
値段は大型バスと同じ15,000T(約900円)。
隣の席のおばさんが、わたしがまだ完全に泣きやまずに鼻水をすすってるのを、風邪か何かと思ったらしく、見かねて鼻の下に塗る薬をトイレットペーパーの切れ端にくっつけて渡してくれた(笑)
「ほら、こうやって塗るのよ。鼻の穴にも塗って!」と実践してくれる彼女。
この鼻水は泣き止めばとまる話なんだけどな……と思いつつも、おばさんの親切心をむげにするわけにもいかず、何も悪くない鼻の下にひりひりする薬を塗りたくったのだった。
***************************************
こんな泣いたり笑ったりする旅、最後にしたのはいつだろう。
少しだけ昔の無鉄砲さを懐かしく思う。
さて、これでモンゴルのエルデネト旅行記はおしまいです。
このシリーズを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
そのうち、モンゴルの首都ウランバートルの様子もまとめる予定なので、興味のある方はぜひ引き続きチェックしていただけると幸いです。
(最終訪問:2013年10月)
未承認国家の日常風景(後編)【ティラスポリ/沿ドニエストル共和国】
以前、未承認国家・沿ドニエストル共和国のティラスポリの様子を紹介した。
今回の記事は、その後編である。
(前編はこちら。未読の方はぜひどうぞ)
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さて、想像していた「未承認国家」のイメージとは全く異なり、あまりにも平和でのんびりとしたティラスポリ。
9月上旬のティラスポリはまだまだ暑く、炎天のもとを歩き回るのはなかなか酷だったが、すっかりこの街の不思議な魅力に惹き付けられてしまったわたしは、とにかく散策を続けることにした。
アレクサンドル・スヴォーロフの像と道を挟んだ反対側には、戦車が突然現れる。
そして、トランスニストリア戦争の戦死者のお墓。
トランスニストリア戦争は、ソ連崩壊後の1992年に勃発した武力衝突である。
モルドバ共和国と沿ドニエストル共和国による戦いで、結局はロシアのバックアップがあった沿ドニ側が有利で、決着はつかず引き分け状態で終わった。
強い日差しの下、星の中で炎がメラメラと燃え続けていた。
墓の近くには礼拝堂らしき建物も。
お墓と礼拝堂の近くを流れるのは、ドニエストル川だ。
ウクライナ西端を源流とし、モルドバ、沿ドニエストル共和国を通り、黒海へ注いでいる。
川岸は水浴びをする人で賑わっていた。
さらに10月25日通りを西へと進むと、政府庁舎の前にコートをはためかせながらそびえるレーニン像を見ることができる。
この向かい側には、ティラスポリ出身の科学者で、最初に有用なガスマスクを発明したといわれるニコライ・ゼリンスキーの博物館があったのだが、残念ながらわたしが訪れた日は休館だった。
しかし気を取り直して、わたしはさらに西へと進んだ。
というのも、この先には要塞の博物館があるのをGoogleマップで確認していたのだ。
18世紀末に建てられた要塞で、現在は修復され内部は博物館になっているとのことだった。
大通りから少し狭まった通りへと入っていく。
この先に何かがあるとは思えない庶民的な住宅街っぷりに、自信喪失して大通りへと引き返そうとしたが、Googleマップで見たところ、どうやらこの道で合ってそう。
全くひとけもない上、数匹の野良犬がうろうろ餌探しをしていたが、Googleマップを信じておそるおそる進んだ。
そして辿り着いた博物館。
ここも見事にやっていなかった。
ビビリ散らかしながらも無事に目的地に到着したというのに。
残念ではあったが、近くにあった集合住宅が良い具合に共産圏の香りをまき散らしていた。
ぱっと見、金太郎飴のように見える建物も、よく見てみると一軒一軒窓の形が違ったりしていて面白い。
要塞の東側にも民家がたくさん。
要塞は土手に囲まれているので、小高い土手の上からは遠くまで景色が見渡せる。
しばらくぼーっと眺めた後、駅まで歩いて戻ることにした。
帰り道も、気になった建物などをカメラに収めながらのんびり歩く。
これは車のパーツ屋だろうか。
店の前にはまつげ付きの車。
カメラ目線をくれた黒猫。
ティラスポリでは、野良犬はもちろん、猫の姿もあちこちで見かけた。
車線の無い車道とガタガタの歩道。
現地の人からしたら何気ない景色でも、わたしにとっては見慣れない故にワクワクする景色。
惹かれて、つい足をとめてシャッターを切ってしまう。
この住宅も張り出し窓が素敵。
しかし、この街には実にのんびりした空気が流れている。
別の国というより、タイムマシンに乗って別の時代に来たような不思議な気分。
駅に戻って来た。
構内でバスのチケットを買ったが、片言のロシア語でチケットを買おうとするわたしに窓口のお姉さんはとても愛想良く対応してくれ、最後の最後まで嬉しい気分で過ごすことができた。
たったの1日、というか、合計滞在時間は6時間ほどだったと思うが、一生記憶に残る滞在になったのは間違いない。
「未承認国家」という物々しい響きからはイメージもできないような、平和で穏やかな日常がそこにはあった。
(最終訪問:2018年9月)
世界一のキリストは平凡な街にいた【シフィエボジン/ポーランド】
以前、ポーランドの田舎にある、世界一高いキリスト像を紹介した。
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この記事で、キリスト像がいかに何もない辺鄙な場所に突っ立っているかを書いたが、今回はこの像がある街について紹介しようと思う。
シフィエボジン(Świebodzin)の辺りには、旧石器時代から人が住んでおり、集落も存在した。
街の存在が文献で触れられたのは13世紀あたり。
ポーランド西部に位置するため、かつてはドイツの領土だったりもした。
15~16世紀はビールの製造でも栄えていたとか。
そうなの?近くに住んでるのに全然知らなかったと思って調べてみたら、今でも一軒だけビール醸造所があるらしい。
そこで働きてぇ。
なお、現在は人口2万人ほどの小さな街だ。
まずは、賛否が分かれるあの巨大キリスト像建立の発起人となった神父が牛耳っていた教会へ行ってみよう。
キリスト像から街の中心へと700メートルほど進むと、右手に見えてくるのがその教会。
中に入ってみると、まずその煌びやかさに驚く。
装飾度合いがなかなか激しいというか、なんともデコラティブ。
色の配色も深紅にゴールドだったりしてどぎつめ。
ちょっと新興宗教みすら感じてしまう壁画も。
平日の昼下がり、わたし以外に人はいなかった。
さて、さらに歩いて街の中心に。
こちらの教会は別の神父が牛耳っている。
先ほどの教会とは違い、ネオゴシック様式の落ち着いたスタイル。
そうだ、わたしがイメージするカトリックの教会は、まさにこれである。
入るとひんやりして、少し暗くて重厚な感じ。
こちらは元々、1900年にプロテスタントの教会として建てられたそう。
1945年まではプロテスタント教会として機能していたが、その後カトリック教会となり、1981年に大規模な内装工事を施した。
街の中心である旧市街は、他の地方都市と特に変わらない。
時々こうしたカラフルな建物もあったりして面白い。
こちらは市庁舎。
シフィエボジンの歴史博物館も併設されている。
戦時品や軍服、女性が使用していた衣装、はたまた、このエリアに生息する動物や植物の紹介、プロイセン領土だった頃の資料なども展示されていた。
入館料とは別に料金が発生するが、市庁舎の塔にものぼれるようになっている。
遠くにキリストの姿を拝むこともできる。
ちなみに塔の屋上までの階段は鳥の羽と糞だらけだった(笑)
そういえば。
シフィエボジンの街外れにはキリストがいるが、街中にも面白い像がある。
ポーランドの歌手チェスワフ・ニエメン(Czesław Niemen)の像だ。
60年代にデビューし、数々の名曲を残した国民的歌手である。
プログレやサイケ・ロック、実験的でアヴァンギャルドな香り漂う曲などもあり、ポーランド国外でも音楽マニアには知られている(と思う)。
彼はもともと1939年に現在のベラルーシで生まれたのだが、1958年に家族でポーランドにやってきた。
そして、各地を転々とし、シフィエボジンにも住んでいたことがあったそうだ。
まだ歌手デビューする前だったため、ここではピアノの調律師として生計をたてていたとか。
おまけ
ぶらぶらしていたら発見した古い建物の可愛い扉。
こんなところに住んでたら、毎日家に帰るのが楽しくなりそう。
【行き方】
ここでは、冒頭で紹介した教会への行き方を紹介する。シフィエボジン駅から歩いて10分。世界一巨大なキリスト像までは南へ800m。街の中心までは1.5kmほどのところにある。ポーランドの首都ワルシャワからシフィエボジンまでは、直通電車あり(所要時間:約5時間半)。
【ウェブサイト】
https://sanktuariumswiebodzin.pl/
【場所】
osiedle Łużyckie 52, 66-200 Świebodzin
(最終訪問:2018年8月)
未承認国家の日常風景(前編)【ティラスポリ/沿ドニエストル共和国】
わたしは今まで、国際的に国家として承認されている国にしか住んだことがない。
それまで訪れた国も、きちんと国家として認められた場所ばかりだった。
承認されていない国とは一体どんな様子で、どんな人が暮らしているのだろう。
誰もが一度は思うのではないだろうか。知らんけど。
そんなこんなで、なんとなく未承認国家の存在を意識し始めて数年たった時、モルドバにある未承認国家・沿ドニエストル共和国に訪れる機会がやってきた。
沿ドニエストル共和国は、ソ連がルーマニアからモルドバ地域を奪還するために、1924年にウクライナ領に作られたモルダビア自治共和国が礎になっている。
1990年9月に、沿ドニエストル共和国として独立を宣言した。
独自の通貨や政治体制を有しているものの、国際的には国家として承認されていない未承認国家だ。
世界的にはモルドバの一部とされており、この国を国家として承認しているのは、アブハジア、ナゴルノ・カラバフ共和国、南オセチアの3か国。
そしてこの3か国も国家として世界的に承認されていない未承認国家である(笑)
そんな沿ドニエストル共和国にはロシア人も多く住んでいて、親露どころかソ連回帰を願う人がいるとか……
気にならないわけがない。
というわけで、2018年9月。
このバスに乗ってキシナウから沿ドニエストル共和国の主都とされるティラスポリへやってきた。
9月初旬のモルドバはとても暑かった。
ぎゅうぎゅう詰めの狭い車内は、むせかえるような体臭で満ちており、窓も開けられず割と地獄だった。
隣の男性の体臭がキツすぎて、もうそろそろ我慢も限界だと思われる頃、ようやくバスは鉄道駅に到着。
とりあえず、駅から街の中心地まで歩く。
キシナウに比べて、通りが閑散としていて、不思議な雰囲気。
だが、治安の悪さは特に感じない。
未承認国家のなんとなく怖くて危ないイメージが、到着早々ガラガラと崩れ去る。
そこには、他の国と変わらない人々の暮らしがあるように見えた。
こちらは、おそらくティラスポリに来た人が最初に目にするであろう観光スポット(?)。
大小の鈴がついた正教会の門というかモニュメントのようなもの。
教会の本堂はこちら。
だが、改装中なのだろうか。
中には入れなかった。
教会の隣には荒れ果てた資材置き場。
教会の周りもちょっとした公園のようになっているが、草が生い茂っていた。
蛇とか出てきそう。
公園の向かいには、一見立派だけど廃墟のような建物。
とりあえず、公園を抜けて、街の中心と思われる方面に歩いていく。
何も知らずに撮ったが、老舗ワイナリーの店舗だったようだ。
今度行ったら何か買ってみよう。
大通りに出る。
車線の無い広々とした車道が旧共産圏っぽい。
少し危険な香りの漂うインパクトのある建物。
本当はもっと近くに寄ってじっくり見たかったのだが、失礼な気がしたので一瞬で写真を撮って足早に去った。
手前の薄緑の建物は何かの機関だろうか。
バックにそびえたつ集合住宅がカッコいい。
この街のメインストリートである「10月25日通り」に出た。
堂々たる建物は市庁舎。
さすが沿ドニエストル共和国、レーニン像が今なお普通に設置されている。
淡いイエローの集合住宅。
モコモコと出っ張った窓のデザインが面白い。
明るい水色と白の組み合わせがとても爽やか。
沿ドニエストル共和国内で展開されているスーパーチェーン「Шериф (SHERIFF)」。
この店舗は、二階にレストランが入っていたので、そこで昼食をとった。
ファミレスのようなカジュアルなレストランだ。
若い女性店員さんが、機転を利かせて英語で対応してくれる。
わたし並みに英語に話し慣れてないのか、「えーっと……なんて言うんだっけ」と度々困っていたのが可愛らしく、好感度が爆上がり。
野菜のグリルも素朴な味で美味しい。
日本円に換算すると、トータルで1,200円ほどだった。
そこまで安いわけではない。
お姉さんがとても良く対応してくれて癒されたので、チップも払って店を出た。
昼食を終えたら、再び街中探索へ。
他の国となんら変わりない日常の景色に、なんだかほっとする。
レトロなトロリーバス。
古めかしい雰囲気の映画館。
そこらじゅうで赤と緑の沿ドニカラーを見かける。
なお、この辺りで、外国人旅行者らしき人を見かけた。
行きのバスにも、ドイツ語を話すグループが乗っていたので、観光客はそれなりに頻繁に来るのだろう。
I♡ティラスポリのモニュメント。
さすがにこの前で一人でセルフィ―を撮る勇気はなかった。
さらに先に進むと、ティラスポリを建設したロシア帝国の軍人アレクサンドル・スヴォーロフの像が建っていた。
さて、街をひと通り歩いてみて、驚くほど平和なことに気付く。
そして、人が穏やかで親切なのだ。
沿ドニエストル共和国に入国する際も、わたしがロシア語で挨拶をしたら窓口のお姉さんはにこやかに対応してくれた。
銀行で両替をした時も、旧共産圏あるあるな不愛想な対応を覚悟していたのだが、拍子抜けするくらいに優しく対応してくれた。
唯一、駅で両替しようとしたら、おばさんに怒鳴られたが(いまだに原因不明)。
なんとなく、「今は両替できない」みたいなニュアンスだった気がするが、わたしがロシア語が分からないばかりにおばさんの言うこともろくに分からず、おばさんもカチンと来たのだろう。
それはさておき。
はて、なんなんだ、このやたらと居心地の良い国は。
張り詰めていた気を少しだけ緩めて、わたしは散策を続けた。
後編に続く。
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【行き方】
モルドバの首都キシナウの中央バスターミナルからティラスポリ行きのミニバスが出ている。2018年9月当時は片道36.5MDL(約240円)だった。途中の国境での検査を含め、2時間弱でティラスポリに到着。国境での検査は、パスポートを見せて、どこに行くのか、どのくらい滞在するのかを伝えるだけ。その際に小さな紙をもらうのだが、この紙は出国時にも必要なので大切に保管しておこう。この辺りの手続きは突然変わることもあると思うので、訪れる際には最新情報をチェックしてください。
【場所】
Tiraspol, モルドバ
(最終訪問:2018年9月)